研修生紹介
インターンに行った動機を教えてください。 そもそも、開発に憧れてはいたけど、深く考えたことはなかった。多分、困っている人を助けるのが仕事になるって格好いいなくらいな感じだったのかな…。困っている人ってどこにいるんだろう? ——まあ、アフリカかな。みたいな(笑)。ご飯もなくて、物もなくて、裸足で…みたいな悲壮感がアフリカのイメージだったから、アフリカに携わって何かをやるということはそれ自体が清らかなことだと思っていたし、社会でもそんなイメージが一般的なんじゃないかと思った。就活を前にいざ色々な選択肢が広がった時に、自分が仮にアフリカで働ける仕事に就けたとしても、「おれ助けてあげてるわ」みたいな人間になる気がして(笑)。浅いまま就職してしまうのが怖かったし、それなら行ってみようかな、と。

どうしてADEOだったのですか? 「アフリカ インターン」で調べて引っかかったところの組織の説明会に行くと、わりとどこも、「今日も倒れゆく、アフリカの子どもたち…」や、「◯◯くんは、こんなに可哀想でしたが、支援で学校に行けるようになってこんなに元気に…」みたいな感じだった。そういう組織では、「日本人の方が幸せだ、可哀想な彼らを助けるのが我々の使命だ」という意識がベースにある。それは嫌だと思っていた時に、アデオジャパンの過去の研修生は「困っている人を助けたいとは思ってない」と書いていて印象的だった。話を聞くと、スタッフもケニア人だし、現地の人と密に触れ合えると感じたので、ADEOに行くことにした。 日本人スタッフがいる現地NGOだと、管理体制も教育体制も日本ナイズされてしっかりしているし、そこにいる現地スタッフもエリート層で、日本人に教育を受けている。ADEOで行ったことで、ケニア人だけの組織がどう動いているのか、その空気感を知ることができた。現地の人たちと触れ合いたいっていう目的もあるなら、絶対ADEOブシアはお勧め。そのちゃんとしてなさが、難しさでもあったけれど。

最初のケニアの印象を教えてください。 4月半ばの最初の一週間強はナイロビにいて、人もあくせく働いているし、ビルも並んでいるし、あれ、これがアフリカか?という感じ。そのあとブシアに行たら、もちろんナイロビと比較するとものすごく田舎なんだけど、意外と色々あるな、と思った。大きいショッピングセンターもあったし。 色々なものがないことに関しては意外とすぐに順応できたけど、人の接し方にすごく戸惑った。ブシアの人々からすると、日本はもう、アメリカの次くらいに栄えている最先端の国というイメージだから、日本人というだけでみんな下から来る感じ。何か支援の類をしてくれる人だ、って思われてるのが分かって、その距離感がすごく嫌だった。 仕事の面だと、頑張っている人はとても頑張っているけど、上昇志向があまり無いから、何かを生み出す空気がなくて。「大変だね……」みたいな(笑)。行った日に、今進んでいるプロジェクトとかの説明はされたけど、これからの話が無かったの(笑)。未来の設計図が無くて。ほんっとに何にも仕事が振られないから「何かありませんか?」って聞いたら、「ないよ」って言われて。だからとりあえず過去プロジェクトをしていた場所に連れて行ってもらって現地の問題を知って何ができるか模索していくことに5月、6月は使ったかな。

そこで分かった問題をきっかけに、プロポーザルを書き始めるわけですね? 過去にADEOが支援してきた地域で、支援を受けた人にも、受けられなかった人にも、今の問題は何かと聞くと、食料や筆記用具が足りないことで一致していた。今までも食料や筆記用具を供給する支援をやってきていたのに「もっと支援をやってほしい」とみんなが言ってきた。それは、長い目で見れば支援によって問題が解決されていなかったということ。 これではあまり意味が無いと思い、「物」ではなく「手段」を提供する支援が必要だと考えた。いままで、ADEOは雇用のような手段を提供したことがなかったから、初めて行う事業として何が一番生活に密着しているかっていう点を意識して情報収集した。路上で住民の話を聞いたり、生活を覗かせてもらったりした結果、やっぱり家畜かなと。野菜の家庭菜園とも迷ったんだけど、家庭菜園は挫折している人が多いことが分かって辞めました…。 次に家畜のなかでもどれが一番コスパがいいのか調べた結果、牛になった。比較的貧しい層でもほぼ毎日チャイを飲むほど牛乳の需要が高かったのと、近所に牛乳専用の換金所があって、現金収入を得るまでの流れが見えやすかったので。 プロポーザル書き出す前に、「永続的に物資支援を受けながら生きていく状態と、能力を得てそれにあった仕事を得て自分だけで生きていけるようになるのと、どっちがいいか」を聞いたんだよね。すると半分くらいの人が、自立したいけどそれは難しいから、物をもらえればそれでいい、と答えた。もう半分くらいの人には、そもそも自立するという考えが無かった。 それが何故かを考えた時に、ナンバレの人たちは1日1日しか生きてないんじゃないかと。この先何年っていうビジョンがない。1日1日物をもらいながらでも生きて、それを積み重ねていければ、それってハッピーなんじゃない?っていう感覚。でもこちら側からしたら、その考えは甘いじゃん。毎日物がもらえるわけじゃないし。認識のずれをなくすことが最低限必要になる。 ただ、これは難しい問題だと思う。例えば、ナイロビのあるスラムでガイド役のお兄さん聞いた話だと、ある現地で活動するNGOなどがトイレを建てて衛生状態が幾分か改善されたんだけど、そこで排泄することで病気を予防できるなどの啓発活動をあまりしなかったから、トイレが増えることのメリットが理解されていなくて住民たちの反発を買ったということがあったらしい。それと同じで、こちらはちゃんとした目的のもと、ちゃんとした手段を提供していても、現地の人の意識や考えがどうか、その方針に同意しているか、その確認は大切にしなきゃいけない。

そこが、Oさんの感じた開発の難しさなのですね? 例えば飲み物の発売だったら、売れるか、売れないかで正確にシビアに仕事の結果が返ってくる。けど開発の場合、結果についていくらでもよく言うことができる。「農業支援をして、収穫高がこんなに上がり、人々の生活は豊かになりました」と言うことはできても、そのせいで穏やかな暮らしが壊れてしまったかもしれないし、地域のコミュティにヒビが入ってしまったかもしれない。そういった数字に表れないけど大事な結果が返ってこないな、と思って、開発に携わることに迷いが生まれた。 支援で相手の生活に介入することで、悪い影響を与えてしまうんじゃないかとか、どうしても考える。でもかといって人の意見を聞いて受け入れてばかりでは、進まない。そのバランスに難しさを感じたんだよね。

国際協力や開発とは関係なく、長期のケニア生活で思ったことは? アフリカのエネルギーはものすごく好きだな、と。貧しく暮らしていても閉塞感がなくて、今日よりも明日は絶対いいはずだ、という共通認識をみんなが持っている感じがした。ケニア人は、スワヒリ語にboringに対応する単語は無いと言っていた。じゃあ「boring」ってどんな意味だと思っているの?と聞くと、「今やっていることが、本当に今やりたいことではなくて、本当は◯◯がしたいな…と思っている状態」と答えた。これは深いなぁ、と。言語は国民性を表すけど、ただ否定するんじゃなくて、本当にやりたいことがずっと心の中にあるから、ケニア人はキラキラしているのかな、と思った。

研修前後で、ご自身に変化を感じますか? よく、視野が広がった、という人はいるけど、広がったんじゃなくてすり変わったんじゃないの?という人が多い。例えば、日本の思いやり文化の中から、アメリカに行って自己主張の文化に触れて帰ってきて、「やっぱ主張すべきだよね」という風に変わってしまう。自分も高校時代にオーストラリアでの留学から帰ってきたときに、「視野が広がった」とか言っていた気がするけど、本当はそうじゃなかったかもなって今は感じる。 研修に行く前は自分も、割と自分の価値観のもとに情報も人付き合いも線引きをしていて、答えを一つに決めないといけない、と思っていた。でも本当は色々な価値観も両立できると思うし、それが、視野が広がるってことなんじゃないかって。自分の考えを持つことはもちろん大事なのだけど、どちらが良い悪いということにそれほど拘る必要もないなって。優劣を決めない方が思考の引き出しが増えると思うから。 そういう意味では、日本とケニアでは環境などの条件も人間も違いすぎるし、感じている幸せの形も違う。例えば、向こうでは親や子が生きていることだけで物凄く幸せ、みたいな人も多いけど、日本で生きている中でそれが一番の幸せだとは思ったことがなかった。今は、日本人としての生き方も捨てられないし、ケニア人の考え方も素敵だな、と思う。ケニアの田舎に6か月間生活する中で、素敵だなって感じたり、ふざけんなよって感じたり、色々な面に触れられたのが良かった。

ありがとうございました。

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